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南スーダンの眠れない夜

「国境なき医師団日本」看護師・京寛美智子さん  潜望鏡 第9回

2016年01月01日

社会・生活

HeadLine 編集長
中野 哲也

 国家は一定の領土において権力を行使し、その内側に属する国民の保護は基本的な責務である。隣国との垣根は「国境」と呼ばれ、それを越える侵入や干渉は許されない。ところが現実には、国境の内側で内戦が起こるし、外敵は越境して攻めて来る。そして、数千年にわたり罪なき人々が国家の犠牲になってきた。その一方で、こうした犠牲者を一人でも少なくするため、危険な紛争地域に身を投じ、何ら補償も求めないボランティアが活動している。「国境なき医師団(MSF)」はその代表的な非政府組織(NGO)であり、7000人超の海外派遣スタッフが約3万1000人の現地スタッフとともに医療や人道支援に取り組む。
 
 19世紀の東アフリカのスーダンは南部を英国、北部をエジプトに占領されていた。1956年に南北統一が実現し、スーダン共和国として独立したものの、その後も南北対立は解けない。部族や宗教、石油利権、隣国の介入などが複雑に絡み合い、内戦の長期化で国土は荒廃した。ようやく2011年、南部は南スーダンとして独立を果たす。しかし今度は、南スーダン政府内の抗争で内戦が勃発。避難民・難民は国内外で200万人に達し、今なお増え続ける。

 看護師の京寛美智子(きょうかん・みちこ)さんは、MSF日本から二度にわたり南スーダンへ派遣された。徳島市で生まれ、野山で遊びまわる「普通の女の子」だった。ただ、物心ついた時から「外国に行きたい」と考え、やがて「海外で看護師として働こう」と決意。医療系の短大に進み、卒業後は大学病院で「普通の看護婦」として働き始める。ある日、書店でMSFの出版した本が目に留まり、一念発起して海外派遣スタッフの面接を受けた。ところが、英語力が足らず落ちてしまう。そこで他団体の海外ボランティア活動に参加するなど、語学に磨きをかけて再チャレンジ。2005年に見事合格した。

201601_潜望鏡_11.jpg京寛 美智子さん


 京寛さんは2009年12月、スーダン(現南スーダン)のアビエイに赴任。ホテルが全く無いため、スタッフにあてがわられたテントで生活を始める。やがて現地作業員にトゥクル(小屋)を建ててもらったが、「日中40度を超えるため、夜も暑くて眠れない」―。やむなくベッドを屋外に出すと、少しは風を感じるようになった。だが今度は、マラリアを媒介する蚊の大群が襲来する。そこで支給された蚊帳(かや)を張り、ようやく眠りに就くことができた。

 MSFがアビエイに建てた病院では、総勢15人程度のチームが連日100人前後の患者を診療していた。京寛さんは「人々は汚れた川の水を直接飲んでしまい、また栄養失調で免疫力が落ちているため、幼い子どもを中心に下痢やマラリアが多発していた」と当時を振り返る。現地では肉は裕福な人しか口にできない。庶民は豆をゆでてすり潰し、それとオリーブ油、塩をパンに塗って空腹を満たしていた。これでは、ビタミンが圧倒的に不足してしまう。

 ある日、京寛さんは遊牧民に移動診療を行うため、他のスタッフとともに四輪駆動車に乗っていた。すると突然、目の前に襲撃団が現れ、旧ソ連製カラシニコフらしい自動小銃で何発も撃ってきたのだ。「車から出ろ!」と脅され、京寛さんらは震え上がる。襲撃団は命までは狙わなかったが、車内の金品を根こそぎ奪って逃走した。

 最大の危機に直面した京寛さんだが、チャレンジ精神はますます旺盛になっていく。いったん日本に帰国した後、すぐに大地震に見舞われたハイチへ。さらに東日本大震災の被災地、エチオピア、イエメンで活動し、2013年3月に再び南スーダンに向かった。ヤンビオという町の公立病院で、京寛さんは小児と妊産婦の医療に従事する。前回のアビエイに比べると治安は良いが、庶民の貧しさは相変らず。現地では産婆が出産介助に当たるため、異常分娩の場合、手遅れの状態で母子が運び込まれるケースも少なくない。また、「病院までの公共交通機関が皆無のため、妊産婦が2時間歩いて来院する。途中、道端で出産してしまうことも...」―

 京寛さんの海外派遣は計9回、通算51.4カ月に達し、今はMSF日本の事務局で研究開発を担当している。日本では低体重で生まれた赤ちゃんは当然、保育器に移され、医師や看護師が体温・呼吸・心拍といったデータを注意深く観察する。ところが、貧困地域にはそもそも保育器が無いため、低体重の赤ちゃんの死亡率はケタ違いに高い。京寛さんは「日本で使われる保育器は心電図まで測定できるけど、何百万円もする。機能は最低限でよいから、安くて壊れない保育器が必要なんです」と訴える。取材の最後、彼女は「また現場に行かせてもらいたいですね...」と笑みを浮かべた。その視線のはるか先には、アフリカの子どもたちのキラキラとした瞳が並んでいるはずだ。

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京寛さんと広報担当の舘 俊平さん


(写真) 小笹 泰 PENTAX K-50 DA★50-135mm F2.8ED使用

中野 哲也

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※この記事は、2016年1月1日に発行されたHeadlineに掲載されたものを、個別に記事として掲載しています。

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